キリストの墓と大石神ピラミッド
|
青森県三戸郡新郷村戸来字野月33-1 「キリストの里伝承記念館」
「竹内文書」をあらわした、竹内巨麿が発見した伝説の地
|
|
キリストの里伝承記念館の外観、ちょっとした公園、という感じです。
八戸市から車で一時間はかからなかったと思います。
山間の集落で、ここを超えていくと十和田湖にぬけられます。
私が行った時は、十和田湖に観光したついでにこちらに来ているという観光バスがいました。
竹内巨麿についてはこちら!(高橋がまとめました)
|
|
駐日イスラエル大使から送られた記念碑
詳しく研究していないので、おおざっぱな説明になりますが、
キリストはユダヤ人によって磔になりましたが、キリスト教徒にとっては、ユダヤ人は敵、ということになります。
しかし、実はキリストは難を逃れ、ユダヤの十支族の一つとともに日本に移住した。
そして、キリストは日本に来て106歳で、この三戸の地で亡くなったというわけです。
つまり、ユダヤ人はキリストを殺害してはいないという根拠になるのかも?
そんな訳で、イスラエル大使がここに記念碑を贈ったのかも?
|
|
キリストの墓
キリストは21歳のとき日本に渡り12年間の間、神学について修業を重ね、
33歳のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、
その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを受け入れず、
返ってキリストをとらえて十字架に磔刑に処さんと致しました。
しかし、偶偶イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって
十字架の露と果てたのであります。
他方、十字架の磔刑から逃れたキリストは艱難辛苦の旅を続け、
再び日本の地を踏み、この戸来村に居を定めて、百六歳長寿を以ってこの地に没しました。
この聖地には、右側の十来塚にイエスキリストを、左側の十代塚に弟イスキリを祀っております。
以上は、イエスキリストの遺言と謂われております。
と、書かれています、、、
|
|
キリストの墓
私が感じるところでは、イエス様はいませんね。
しかしヘブライの天使が多数いて、墓の周辺に陣取っていました。
竹内巨麿氏がここをイエスの墓と特定したのは、売名行為ではないと思う。
霊的な背景があるはず。今度行ったらもっと真剣にリーディングしたいです。
そもそも竹内スクネが日本に来たのは、母のミタマを探すことが目的だったから、
巨麿さんはその霊的子孫なんですから、
|
|
弟イスキリの墓 イエスの墓の左側にあります。
こちらとは直接関係は無いですが、青森には釈迦の墓もあります。
新しいナビをいじっていたときに、ミステリースポットというカテゴリがあったので
開いてみたら、キリストの墓、遮光土偶、釈迦の墓、が出てきました。
青森ってミステリーのてんこ盛り?
場所は青森市浪岡 梵珠山 地元では火の玉伝説で有名です。
|
|
大石神ピラミッド
キリストの墓から三キロくらい離れたところにあります
この鳥居の先もを少し上ると岩があり、そこが古代の日本のピラミッドた言われています。
登りたがったのですが、険しそうなのでやめました。
ピラミッドというより、古墳のように感じました。
成田に住んでいたときに近くに前方後円墳があったのですが、
その波動と同じものを感じました。
|
|
ピラミッドの案内板
湊丸が記念撮影。
この後、遭難しかけました!案内板に、上まで車で行けるように書いているので、
私が足が悪いこともあり、車で登ってみることにしたのですが、30分くらい登っても目的のピラミッドが現れません。
道はだんだん細くなり、林道だと思いますが、狭くてUターンが出来ません。ナビの表示では山の向こうまで道が続いていています。
仕方ないのでこのまま走って山を抜けようと思いましたが、何と雪がってきました。しかも、気がつくと積もっています。
ノーマルタイヤなのに、携帯も圏外で、ガソリンも1メモリしかありません。「もしかしてここで遭難!?」あせって進んでいると、
なんとかターン出来そうなスペースがあったので、やっと引き返すことができました。
きっとこの山の天狗さんにいたずらされたんですね、
|
ご利益のツボ
ピア・スピリチュアル
|
|
|
|