『竹内巨麿』おおざっぱ解説
1870年〜1965年
皇祖皇太神宮第66代管長
父は清和源氏系の源重胤、母は大中臣(おおなかとみ)家の娘と言われている。
しかし、当時の官憲の調べではこの話は疑わしい。
母の死後、竹内家に預けられ、以後竹内を名乗る。
明治43年皇祖皇太神宮を北茨城市に移し、天津教として活動する。
経典の竹内文書が不敬罪に当たるとして、官憲に捕まるが、無罪になっている。
巨麿は預けられた竹内家で暮らしていたときに、御嶽教の行者として全国を回る。
明治26年と27年には鞍馬山にこもり、仙人や神霊から、神代(じんだい)文字、
フトマニなどを教わる。その後、黒住教、神習教に関わり、神道霊学を学ぶ。
竹内文書の特徴的な主張は
@ 神武天皇の前には、72代の天皇が存在し、世界を統治していた。
このところが当時の国粋主義者に支持された。
A キリスト、釈迦、マホメット、孔子は日本に来て修行していた
B ピラミッドは日本が発祥の地である。 など、
このような感じなので、超古代文明を解明する文献として注目されるが、
現在もそうであるが、偽書の疑いが濃厚。
私は、竹内文書は、神界からのメッセージを綴ったものだと思います。
偽書ではなく、霊界通信なのです。
私の神霊も、竹内文書みたいなことを言ってくることがありますが、
変な宗教をやっていると思われたくないので、サイトでは公表していません。
私も、高橋文書を公開して宗教やってみるかなぁ、
それにしても、竹内氏の神界の黒幕はだれなんだろう?
気になる。。。。神界のからくりが知りたい、、
ご利益のツボ
ピア・スピリチュアル
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