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大変申し訳ないです。
自覚する「私」が器となっているから意識が有る。霊媒は身体の「私」が器となっている。
ではその場合何故、意識が無くなる精神統一が求められるのか。
自覚する「私」は身体の内外からの情報を受容して成り立っている。その身体を他の者に使用されてしまえば
意識も無くなって当然で有ろう。霊媒は意図的に自覚する「私」のスイッチを切って身体を霊に使用され易く出来る。
それは純粋に技術的な事であるので、訓練しなければ普通人には出来ない。其処で私が問題にするのは、
霊媒とは逆に自覚する「私」を器にする場合であって、それが今彼女が行っている事である。
実はこの様な霊能の方が一般的なのだ。意識下の霊信や自動書記等は自覚する「私」を器にした方が遣り易い。
* 自動書記を遣っていて、字が出ている途中で何が言いたいのか文全体がパッと一度に分かる時が有る。
また易をする時も、さあ立筮しょうという時に、もう心の中に風沢中孕とか火雷噬盍とかが浮かんで来る。そういう事かしら*
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