概念化された知覚は感覚与件である。E.S.P.が有意味となるには、現実の対象と知覚が同一、一致しなければならないと言う。
つまり超心理学は現実の対象と同一の記述内容の知覚を「私」に要求している。
それは何を意味するのか。これは我々にとっては感覚与件以上に危険な考え方である。
それはつまりこの様な事である。このような意味でのE.S.P.が真であるとしたら、
人の知覚内容と現実の対象とが一致する事が立証された事になる。現実の対象とは無論、物理的対象である。
それは物理的対象と人の知覚が同じ本質を持つ物であることを意味する。
つまり、今まで超心理学は超能力という事態の検証では無く、感覚与件の実在を立証しょうとしていたのである。
感覚与件は概念である。概念を幾ら探究しても精神の本質を求める事は出来ない。
私は人の知覚は、物理的対象と概念論によって結び付けることは出来ないと主張して来た。
それが心霊科学の立場であるなら、超心理学と全く違う世界にあることが分かるで在ろう。
超心理学は心霊を否定する立場にある。それの論述。フィルムの直上に光が湧く様に、E.S.P.は視覚野に直接刺激する。
であるから想像表象に近いものだと言える。
つまり超感覚と名付けているが、実は感覚では無くて、想像表象のある状態なのである。想像表象の場は「私」に有る。
テレパシーも記述的知覚の内容を述べているのでは無く、想像表象が判るのである。
E.S.P.は想像表象に「見る」を強要する。その結果として「見え」が有ったのである。
つまりE.S.P.カード当ての言語ゲーム、あれは「見よ」と命じていたのではない、「想像せよ」と言っていたのだ。
見る事と、想像する事はシステムが違っている。「見る」が当たったのではなく、想像内容が現実と一致としたのである。
そう考えると念写と同様のものである事が判るであろう。
であるから、カード当ても心霊現象の一つであって、心霊を示すプランで有る事が分かる。
超心理学が既存の科学の一分野であると言うのなら、当然のことであるが「霊」「私」などの語は使用しない。
E.S.P.や超感覚等の語を使用する事は、「霊」を否定する結果となるのは明白である。
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