言語批判
哲学は知識の確実性を問題にしますが、それが命題の真偽を調べるということ。科学では懐疑的という形を取る。そしてそれらすべての探究活動に言語が先行すると考えるのが筆者の指導霊で執筆責任者のLの立場です。なぜなら哲学にしても、科学にしてもそして宗教も、みんな言語によって記述され、活動するからなのです。これを言語批判と言います。
論理学
宇宙の仕組みもそれに反映されているはずであるから、言語と諸事態の関わりを調べて行けばよい。それは心霊科学も同様であると主張しています。
哲学をする上での言語のルールとなっているのが論理学で、科学もその論理学的ルールに従って理論を創るから、論理学上の誤りがあるとその理論はダメ。その誤りを正す作業が懐疑という訳。
そう言う科学の論理学的ルールは20世紀の始め頃に確立されて、そのお陰で科学は大いに進歩できたのです。心霊科学はその既存の自然科学とは全く違う立場の科学なので論理学から考え直す必要が有るそうです。つまり心霊科学の為の論理学を見出そうと言うのです。
概念記法と言語ゲーム
それで、現代論理学の出発点はフレーゲの「概念記法」という著作。その成果が量化理論や記号論理学と呼ばれるもの。概念記法は数学の集合論や数論を論理学に持ち込んだ考え方で、現代の科学は数学言語とその中での論証や分析によって発展したのです。その典型が物理学の理論。ですから科学の中て使われている数学は記号論理学と見なされています。しかしこの文章の主題となる言語ゲームの発案者であるウィトゲンシュタインは、この概念記法は間違っている、カントールの集合論はおかしいと主張して、今までの哲学とは全く違った哲学を明らかにしますが、霊の先生方はこのウィトゲンシュタインの言語ゲームを心霊科学の論理学として採用しようと言うのです。
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