物霊はアフォードする

物霊には主体性は無い。
主体性の有無というよりも、物霊のリアリティが問題なのです。物質的実体性では無く、
“それを観る”ことが出来るのか、
なのです。私にはまだ観えていないので、四苦八苦してます。
私の霊が物霊に注目しているのは、物事は、物霊が在って現れるからです。
高級霊の想念だけでは何も起きないと思います。
焦れったい程のんきでおっとりしています。何百年でもそうして鎮座在しまして居ます。
其処に物霊が在って動きが出るから、ああ、これは類魂だったのかと分かります。
それで、類魂が物霊を受容し、生物が行為するように何らかの活動をするのだとしたら、
物霊は、類魂にとっては知覚に関する情報なのではないのかと考えられます。
だから記憶装置の様に見えて、指向性があるのかも知れないのです。


*物霊は記憶装置、
一般に言う記憶は習慣的記憶と言われるものです。
物霊的記憶はそれとは別にして考えた方が良いらしいです。
詩の内容を暗記して、復唱したり、同じ運動を何回もして感覚と運動の中枢に回路ができるもの、これは身体の能力で習慣という訳で、生理学や認知科学の領域なんです。
関係ないわけじゃ無いけど、一応そこで線を引いておいた方が問題のポイントが絞り易くなるのです。
類魂に直接関わるのは、過去の経験と自己意識が結びつく記憶だと思うのです。この記憶は過去の出来事をただ反復し
て思い出すだけでは無く、その、時自分の心の中で感じたことも同時に思い出します。外的出来事と、心の中の内的事態がセットになって記憶としての物霊になって、それが沢山集まり、自己意識になるのではないでしょうか。ですから、コンピューターは人の習慣的記憶を参考にして作られているから心がないのです。
コンピューターは物で出来ているけれど、自己意識を造る物霊が活動していないと考えられます。少し認知科学的に考えますと、記憶は過去の心的状態と今の心的状態が結びついていなければ記憶として成り立たない。と言うことは、物霊が記憶であるなら、
今現れているこの事態が、物霊を物霊たらしめている事になる。
過去の経験が在って今の行為や心的状態があるというよりも、物霊が制御の情報そのものであると考えた方が良い事になります。
この考え方がアフォーダンスというのです。



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