こんな質問を頂きました。
〜夢に興味がありますが、夢って霊査と同じなんですか?
どうしてなんですか?仕組みを教えてください。
霊査なら、普通の人の見る夢も霊査なんですか?
夢も霊能力の一つなのでしょうか?
霊査は、一言で言うと展望なんです。少し高いところから全体を見渡すことです。
でも、それは霊能じゃなくてもしていますよね。物事を冷静に考えてみることです。
その、感情的にならずに落ち着くという心境は高級霊の想念です。
ですから、霊視がなくても高級霊の心境を持つことが出来ていれば統一していると言えます。
霊査はただ霊が見えるだけでは霊査とは言えません。高級霊の想念を明らかにしなければ
霊査では在りません。
その意味では占いは霊査ではありません。では、夢判断は霊査なのでしょうか?
やはり、日頃から高級霊と統一したいという意識がなければだめですね。
ご質問のと通り夢も霊界の表現手段の一つです。
何故ストレートな正夢にならないのかというと、想念は本来、
言葉では語ることの出来ない¨気分¨¨雰囲気¨の部分が大きいのです。
類魂でもありますが。言語で表現できないので、イメージで語るのです。
それを夢の研究家が長年の経験で判断するわけです。
夢判断に関しては夢を見る本人の心がけで、よいメッセージが受け取れるでしょう。
そのために、夢判断には個人差があります。
たとえば大便の夢は一般的には金運ですが、個人差があるので人によっては、
また違う暗示かも知れません。
時差があって何ヶ月が先のことかも知れません。
結論をいうと、夢も霊能の一つですが、それに意味を持たせるには、
本人の統一の状態と、夢にも興味をもって、
夢を勉強しようという心がけで、 霊査になるのです。夢の霊体論があります。
簡単に述べておきますが、眠ると低我が活動しなくなります。
高我が降りていない人は低我が眠ると、
それまで押さえられていたエーテル体が大きくなります。
相対的にアストラル体が貧弱になります。
そこで霊体にひずみができて、そのひずみから雑霊や邪気が出入りして、
所謂、雑夢ですね。
それが酷くなると幽体離脱です。幽体離脱は霊体の病的な状態です。
けして、望ましいものでは在りません。高我が降りるには、
アストラル体を充実させなければいけません。
アストラル体は感情の場です。慈愛の霊体です。
このアストラル体は慈しみの心によって養われます。
ですから日頃の精進です。高級霊と統一し、自我を慈愛の想念を満たす。
霊査も霊能もそれが先決です。
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