キリスト教は「自覚」の宗教であって、「救い」の宗教ではない。
キリストは、輪廻の法則や業の法則を無視して「信ずるものは救われる」
と言ったのではない。
ただ、自らの悪因縁を刈り取らなければ救われないとしたら、
それがある限り人生にはなんらの救いが無いことになり、
業の法則を中心にして説くと、人間はいつまでたっても
罪の意識から抜けられないことになる。
けれど、人間は誰でも悔い改めることによって、
自らの将来を救うことが出来る
し、自分は神の子であると自覚することによって、
暗黒の世界から光明の世界へ達することができる。
だから「悔い改めよ」というのは、
他の宗教からキリスト教に改宗しなさいといったのではないし、
ただ信じるだけで罪がなくなるといったのではない。
「悔い改める」とは「悟り」であって「自覚」なのであり、「救い」ではない。
キリストは業の法則を、因果応報という因縁説によらず、
諸法実相の光明思想の立場からこれを説いたのである。
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