「心霊研究」1998年4,5月号掲載



          類魂論の考察 数学的存在




 

 

   *数学的存在を認めることと類魂の槻念*



 私達は過去を思い出す時や、何かを覚える場合、いつ、どこで何が起きたかを手掛かりに、記憶する事柄を整理しますが、これは現象界に住む人間の思考習慣です。

現代科学の認識方法もこの延長線上にあります。物体の何らかの現象を観測する時も、位置と時間の組み合わせによって行います。これが座標系(x,y,z,t)であります。

 科学では、この座標系で表記し区別できるものが物体であり、実在していると認識して、この座標系で表記できない物ものは存在しないということになっています。

つまり、この座標系によって表記できない「霊」は実体ではないので、科学の対象にはならないと決めつけられているのです。

したがって、私もこの座標系で表記され区別できるものを「物」ということにします(物理的実体)




もし「霊」が座標系(x,y,z,t)で区別できるとするなら、物理的実体と同義であることになります。つまり「霊」は否定されてしまうのです。

では、なぜ「霊」はこの座標系で表せないのでしょうか。今一度、根本的なことを考える必要があります。現象の連続性についてです。

ビッグバン (これは物質の始まりであって、霊の創始を意味するものではなく、また物質と同時に歪も始まったということも意味しない)

以来、宇宙は途切れることなく続いているといわれます。しかし、なぜかという問題は検証できないので考えられないそうですが、

単純に考えると、現象の連続性が保証されているのは近傍という数学的存在が実在しているからであると考えられます。

物理学者は「数」は単なる記号であって実体はないといいますが、私(筆者の指導霊) は数や、集合、式等の数学的命題は存在すると認めています。

つまり、実数の連続性は近傍が存在するからなのであり、実数によって記述される現象も、数を記号のように使っているからではなく、

近傍が存在するからこそ現象の連続性が保証されていると考えます。

                        

 座標系(x,y,z,t)では、近傍は物体が占有する場所にしか存在を認められていません。近傍が存在すると積極的に認めた場合、

この座標系を使う理論は不完全であるといえます。この近傍は類魂と同義であると考えています。霊の存在を証明するなら、近傍の存在について検討すべきです。

「霊」は宇宙の最も根元的本質ですから、従来のような霊媒偏重の研究方法を考え直す必要があります。



 






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