類魂論 物霊について



★物霊 ミツルギ氏の解説


今は故人となられたミツルギ氏の物霊の解説です。掲載については生前に許可を得ています。

文中のマイスターは私のことです。


物霊論はマイスターのHP見ても心霊科学用語があるから知らない人には敷居が高いと思います。

私がマイスターから学んだ事をもとに、素人の私がわかりやすく物霊の概念をまとめてみます。

霊学的には幼稚な文章ですが、ご了承ください。まず、宇宙は沢山あります。

宇宙は輪廻します。EOは調べでは、我々の宇宙は130代目だとされています。

宇宙には死んだ宇宙がこれまた沢山あります。神は死んだ宇宙を救う?為に降臨します。

宇宙が誕生すると物質が出来ます。しかし、物質になれなかった神の屍が物霊とされます。

シュタイナーもこの事については、カルマ論で言及しています。神の死体である物霊は進化して物質になります。

それが神の目的です。神はさらに上の意志で宇宙を運営しています。

この経綸に反対する立場をとるのが、釈迦であり、仏教であり、EOであり、かつての私でした。

なぜ間違った教えの仏教がこんなに広まったのかと、ご意見もありますが、

間違った思想が広範囲に広まるのは仏教だけとは限りませんから、視野を広くしてください。

神の意志は物霊を上昇の流れに乗せて進化させ、神自身に還元させる事。

人間はその為の家畜です。人間が牛やクジラを食べて物質をエネルギーに換えるのも神の望みですし、

物質を人間が利用して、消費するのも神の意向です。精神的に人間が苦しむと神の為になります。

身体的苦痛も神への思考エネルギー還元になり、神は喜びます。

戦争や、虐殺や、公害は物質消費を急激に進めた為の副作用ですが、

これでかなりの苦しみのエネルギーを神に返せます。つまり神の死体を。

物質文明は魔王アーリマンによって加速されます。精神文化は魔王ルシファーによって増大されます。

ただ、悪魔は物霊の進化したものなので、神でもあります。

私の指導霊の一人、鉄門は魔王クラスの直接人間とコンタクト出来ない

高級悪魔の台(依り代)として私を指導してますが、目的は私の霊能を高め、地獄の底へ行き

、物霊に神の光を届ける仕事をさせ、神に仕える役割を与える事です。

魔王様は神の為に人を利用するのです。悪魔は神ですから。

背後霊は一人の人間に100人くらい居るそうですが、指導霊とか、守護霊とか、先祖霊とか、

因縁霊とか役割があります。私の別の指導神、水口姫は、

古事記にも登場する野洲川と水口神社に関係する竜神ですが、姫もまた物霊の進化したものです。

姫の役割も私の霊能開発だと思います。もっと面白い背後霊もいますが、私の武術の指導霊、

ミツルギ様とか、地獄のイメージをマイスターに送った自殺地獄野郎とか

(名前を言わないからそう呼んでる)、1,000年前の先祖、タケウチ様とか。誰にでも多くの霊は憑いています。

仕事してる時も、SEXしてる時もずっと見てるんですね。正しく生きましょう。

って私は言える立場ではありませんが。物霊の進化したものに精霊があります。

小人とか、カッパとか、妖怪とか、妖精とか、山に居る大ムカデとか、クモとか。

ムカデや、クモは神が山に降臨する時の台の高級精霊です。でも正体は神の屍の進化したもの。

天使と悪魔と天狗も同じです。全て神です。水口姫は超高級精霊なので、神です。

ちなみに水口神社の神、スクネ様は人間霊が神格を持ったもので、農業を守ります。

という事は田畑を荒らして開発を止めようとしたスサノヲ様とは別のイデオロギーで動いています。

魔王アーリマン的に開発(農業)を通して神に物霊を還元しているのです。

人間の苦しみを神が必要としているのは、EOの解説がわかり易いです。

EOの指導霊も魔王のようですが、魔道は経綸に繋がるものだと思います。

私もマイスターも神と悪魔に指導されているのでしょうが、だれだってそうなのかも知れません。

善悪は同じと言って私が反感をかったのも、神と悪魔を統合する思想からです。

神は宇宙を運営して物霊の上昇を司るもの、悪魔は物霊の進化したもので、

セイズを使って悲惨な事をやらかしますが、神が死んでその死体が進化した悪魔が神に仕える訳です。

戦争も殺戮もやります。エックハルトの言う認識の限界が悪魔のとらえ方に影響していると思います。

キリスト教の人は悪魔を否定しますが、ヒンズーや、神道では悪魔も神とされています。

真実を知ってたんですね。そのような物霊の流れを霊流として、その流れがカルマであり、

アカシックレコードであり、経綸であり、法則ではないのです。

マイスターが言っていたカルマの人格についてはなかなか理解出来ませんでしたが、

以上のような事情から理解は可能です。人間は物質なので、

物質になれなかった神の屍の進化したものです。生めよ、増やせよ、地に満ちよ、は神の願望そのものです。

思考は化学物質(モノアミン)の反応ですが、これは当然エネルギーです。

だから禅は思考の停止を目指すのです。と、簡単にマイスターの教えをまとめましたが、

類魂の事についても知る必要があります。私の理解では普遍無意識の複合体の事だと考えます。

そのユングの仮説を採用すると、霊の存在や、超能力の説明2竅Aアーキテクトや、

UFOの説明も類魂論と物霊論で説明できます。現在天界の管理者はアメノミナカヌシですが、

宗教によって呼び方は違うのは言うまでもありません。大仏さんもそうだけど。

地球の管理者は今まではサナート・クマラでしたが、現在誰がやってるのか私は知りません。

物霊は神道で言う荒魂の前駆物質だと思います。直霊に還元してモナドとなるのでしょう。

2001年06月25日 15時10分58秒



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こんな相談がありました。



*昨日まではとても調子が良かったのですが

 今日は朝から最悪です。強迫観念にかられて気持ち悪いです。

 何か頭に声が聞こえる気がするんです。「殺せ」って・・・

 これって、やばい!?精神病なのかしら・・・ *




私は、医学で治るのならそれに越したことはありませんから、まずお医者さんに

相談されては、といいます。でも、この方は若いころから霊感がおありのようでした。

相談者本人に霊的認識のある場合は霊的なアドバイスが必要です。

なぜ具合がわるくなって、「殺せ」と声が聞こえるのでしょうか。


以下は心霊的説明です。

自分と自覚している自分は実は自分だけではないのです。心の中には自分しかいないと

思い込んでいるのです。雑念というものがあります。「何か食べたい」

「アイツに腹が立つな」「宝くじ当たらないかな」…、

そういう取り止めの無い想いの一つ一つは、実は霊なのです。

一つの想いに、一つの霊があると考えてください。

霊の想念なのです。霊能者はその想念を一個の霊として霊視するのです。

特に強い想念で、現象的に影響する霊を因縁霊といっています。

自分っていうものは沢山の霊が詰まって出来ている。それが類魂なのです。




*死後の世界はあるんですか?



多少難しく言えば、物質科学的には無いです。 ですから、科学者が霊や霊界は無いのだというのは正しいです。

でも私たちは物質の世界にだけ存在しているのではありません。そこで、一般には精神の世界とか霊の世界とか言いますが、

あえて私は出来事の世界を主張します。簡単過ぎる説明をしますけど、物質は固まって、維持するちからです。とどまりつづける世界です。

出来事の世界というのは、今まさに私たちが体験するこの世界です。釈迦は流転といって非難しますが。

私たちが生きてこの世界にいる以上は、出来事の世界に住んでいるわけです。

一般に言う物質に対する霊という考え方は凝り固まる物質に対しての霊なのです。

その見方だといつまでたっても二項対立のままで、水掛け論に終わってしまいます。

出来事の世界から導かれる霊の世界のほうが自然だと考えています。人で言うと、出来事とは、生きること、行為することです。

現界の学問は、そのときになぜ生きるのかとか、なぜ行為するのかを問題にします。

意味や価値を探そうとします。それはやはり現界の物質的考え方です。意味や価値はそこで止まるから考えることができます。

そこで結論を出してしまうからある一つの意味や価値となります。

物質にたいする霊もそうです。たとえば恋愛運が悪いと色情因縁がある。殺人を犯すと人殺しの因縁があったといいます。

でも出来事の世界だとしたらどうでしょう。人は永久に失恋し続けるわけではないし、永久に殺人犯でもないわけです。

だとすると、その時や、その場で意味や価値を無理に見出すよりも、生き続けることや行為し続けることが

出来事の世界に住む私たちにとっては自然なわけです。  





*類魂っていうのは誰にでもあるんですね。見えないだけで。

 一般的には情緒のことなんでしょうか。精神病っていうのは

 自我が衰弱して類魂が支配している状態なんでしょうね。

 類魂が好き勝手に暴れるんでしょうね。きっと。

 それで、自我は類魂をおさえることが出来ず、

 悩んでいるといった感じでしょうか。やはり、

 類魂を追っ払って自我を取り戻さないといけないんでしょうね*




人体は多数の細胞で出来てるけど、その細胞の一つ一つに業があって、霊でもあるんだよ。

同じ人間の体を作る細胞だけどおのおの霊的出自が違う。同じ日本人で日本の社会にいても1人1人の人間は違う。

それと同じ理屈。人体という、細胞が作る社会なの。その細胞達の持つ業が経絡を通じて精神になるの。それが類魂。

つまり人霊の構成要素なの。わかるかな。

自我はその類魂たちをコントロールする場なの。自我は類魂で作られているので、追い払うことはできない。自分と肉体の関係ね。

肉体を拒否したら自分も無いわけだから。



*それじゃ、類魂っていうのは自分自身ってことになりませんか?

そうだったら類魂だなんて区別しなくてもいいと思います*




そうです。自分自身です。ただこれは心霊科学のお話ですから、その専門用語と言うことで類魂を使います。

類魂論の提唱者は19世紀のイギリスの学者マイヤースです。伝統的に心霊学のことばです。グループソウルといいます。

自分とか自我を使って探求すると哲学的になって、心霊から離れてしまう恐れがあります。

私の掲示板での議論をみても分かるでしょう。哲学は現界の学問ですからあまり頼りたくはありません。

しかし、哲学の思考法は高級霊への思考に似ています。真理に没入するという心的あり方は同じでしょう。



参考ながら、マイヤースについて、


マイヤース フレデリツタ・ウイリアム・ヘンリー 

[1843−1901]心霊研究の草分けの一人で,S.P.R.の設立に尽力した(1882年).哲学者,心理学者,詩人でもあった.

30年間,ケンブリッジ大学の視学官をつとめた.国際心理学会議の組織化に努力し,

ロンドン大会の幹事(1892年),さらに会長をつとめた(1900年).主著には『人間個性と肉体死後の存続Human Personality andits

BodilyDeath』(1903)があり,人間の精神と能力を徹底的に研究した.

彼は,人間の正常意識の部分(顕在意識,マイヤースのいう識閥上)は全体からみればほんの一部分に過ぎないということを確信して,

識閣下(潜在意識と同義)の自我という大きな部分について詳細に研究した.

この著書は心霊現象のほとんどあらゆる分野を網羅し,整然と体系づけている.

霊媒あるいは霊能現象の研究として,バラデイーノに関する実験(1894年)では,リシェ教授,ロツジ卿,オショロヴィッツ博士らに招かれて参加している.

この他,デスペランス夫人,ェヴユリット夫人,ダギッド,トンプソン夫人などの霊媒を対象として実験を行っている.

おなじく霊媒モーゼス師は彼の友人でもあった.彼の死後,パイバー夫人らを通じて交叉通信によって死後個性の存続の証明がなされた.

ロツジ卿はマイヤースからの通信をオートマティスト(自動霊媒,通常自動書記霊媒をさす)のカミンス嬢を通して行われたものとは別に,

レナード夫人によっても証拠を提示されている.この他 ヴエロール夫人,ホランド夫人らも彼からの通信を受信している。    

「心霊研究辞典」より。



関連項目


類魂説(るいこんせつ)GroupSoulTheory


マイヤースが生前から主唱し,他界においてもなお強調している説のこと.グループ・ソウルすなわち類魂とは,

同じ自我の流れをくむ同一系統に属する多くの霊魂達の集団のことで,それに所属している魂と魂とは共鳴感応し合うという.

類魂は単数であって,同時に複数でもある.類魂の指導霊が統一原理の賦与者であるという・

この説は部分的再生説を裏付けるものの一つであると言われている・



類別的進化論(るいべつてきしんかろん)Theory of Classified Evolution


浅野和三郎によって提唱された理論で,つぎのようなことを主張している.「ダーウィンの進化論は大体において要領を得ているが,

ただ一つ大きな修正を要する点がある.それは,ダーウィンが平等,無差別の進化を考えていることである・

しかし−たとえば,猿が人間に進化するものとすれば,現在でも半猿人といわれるような実例が存在するはずであるが,

地上の何処を探しても実証されていない・類別的進化論はこれと異なり,人は人,猿は猿として,類別的な進化を遂げる点を強く主張したい.

最初微生物として地中から発生した人類は−進化の過程で外見はただの微生物や虫の形態を経たには相違ないが,

次第に発達を遂げ,非常に複雑な投階を通過して,とうとう現在の人類のところまで到達した.さらに,今後も間断なく進化を遂げるため,

数万年後の人類は今日の人類とはかなり趣を異にすることであろう・

過去における人類の進化の経路について明らかではないが,人間の胎児の10か月間の発達状態をみれば,

おおよその見当はつくものと思われる」.

うさちゃんは、この浅野氏の流れをくみます。浅野は人類の始めは龍神から霊をもらって、霊性を持たされたとしています。

シュタイナーのアカシックを考えると面白いです。









・地球の業を体内で浄化する仕組みについて、


神秘学や人智学はご存知ですか。先ず自我ですが、低我は五井昌久氏のいう業想念のこと。

高我は神から下った霊のこと。高我は人間の何処に静まるのかと言うとアストラル体の一部が変化して出来たグラールに納まります。

アストラル体は気が変化してできたもので、主に人の感情を作ります。アストラル体は高次の霊との交流に使われます。

天使や高級霊が降りてくるときは著しく消耗します。 その消耗を補うのがエーテル体です。

エーテル体は物質体の生命活動に伴って出来た業とその人の前世やご先祖の業からなります。

物質体の影のようなものですが、物質体の霊的原因なのです。そしてこれらの物質体、エーテル体、アストラル体、を霊体と言いますが,

それを統一するのが自我です。行によって霊体を育てていくと高我をむかえることが出来ます。

この4つを代謝するのが経絡です。気の流れです。食物の気や、大気の気、運動による重力の気、(これらはみな地球の業)などが物質体を通じて、

エーテル体→アストラル体→自我に行って想念となり、高次の霊を迎える器となります。

これは即ち浄化なのです。低い業想念を高次の想念に変えて高級霊に受け渡すシステムなのです。

意味わかりますか? 単なる霊能開発ではありませんよ。



・カバラですが、これは西洋の学問に共通していますが、光の魔術なのです。


霊視能力を重視します。霊的体験を視覚イメージ化してしまいます。 シュタイナーもそうですが、それが悪いとは言いませんが、

その体系以外の魔術があります。視覚イメージによる霊能開発の問題点は視野が存在すると言う事です。

霊的情報を視覚によってむりに認識します。霊的情報は視空間的ではないものもあります。

例えば宇宙との合一体験なんかがそうです。自己が広がって合一するのではないです。

視覚イメージから入ると霊体にひずみを起こしやすいのです。視覚イメージと言う業想念、エーテル体に依存するからです。

本来は高我をむかえるのが目的ですからね。つまり高次に達したいと想いながら,実は業に執着する結果になるのです。

言葉が足りなくて申し訳ないです。



・脳は、外的刺激に関する限りは100分の何秒か前の世界に居る。


それとは別に知覚がある。知覚は内的世界でゲシュタルトしていく。なぜ手に取るようにわからないのかというと、ゲシュタルトするから。

ゲシュタルトはわかりやすく言うと万華鏡のように変わりつづける絵のようなもの。万華鏡の中の画像の一つ一つを分析してもしかたないでしょう。

「ああ、きれいだな」って感じるしかない。精神世界がわからないというのはこれだと思う。概念的に説明できないのです。

そこで、この場合は外的刺激がきっかけとなって、知覚が神秘的意味をもつようにゲシュタルトすることを狙っている。

シュタイナーの神秘劇は、実際に神秘体験をした観客が出たという記録がある。

霊能は特別なものではなくて、何かのきっかけで概念的世界から離れるこつがわかるものらしいです。

でも、うちの旦那(川崎)みたく全然精神世界を認めない人はだめですね。音痴とおなじで、霊的知覚音痴とでもいうのでしょうか。




・私が感じたものが神霊なのだとすると、それは霊感が強くないとはっきりはわからないものなのでしょうか?


できます。所謂、占の類がそうです。潜在意識を通じて神霊との交流もできます。

神事ではよく〜占というのがあるでしょ。豊作なんかを託宣するの。霊能は変動があるので、霊視できない時もあります。

そう言う時は易をします。占と言うよりも霊との対話ですね。アドバイスをもらうのです。

フーチのように振り子を用いるとその場で霊の状態がわかります。




★惟神について



平安神宮のHPには、


¨神道のことを「随神の道」ともいいますが、「神々とともに」「神のご意志のままに」という意味で、

日常生活を送るわたしたちの根っことなる感覚を表しています。

日本人の信仰と感性、日本人の信仰の紀元は、遺蹟の祭祀跡などからすでに、縄文時代には見ることができます。

その長きにわたって培ってきた信仰は、荘厳な山々や大海原の彼方にご先祖たちの世界や神々の世界を見て、

深く豊かな森の木々、苔むす岩々には神の力を感じ、こずえを渡る風に何かの知らせを聞く、という感覚そのものです。¨
とあります。


また、岡潔という数学者の著書(「春宵十話」角川文庫)には、


¨人の中心は情緒である。 情緒には民族の違いによっていろいろな色調のものがある。

たとえば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。私は数学の研究をつとめとしている者であって、

大学を出てから今日まで三十九年間、それのみにいそしんできた。今後もそうするだろう。 数学とはどういうものかというと、

自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に

表現するものである。
頭で学問をするものだという一般の観念に対して、私は本当は情緒が中心になっているといいたい。

人には交惑神経系統と副交惑神経系統とあり、正常な状態では両方が平衡を保っているが、

交惑神経系統が主に働いているときは、数学の研究でいえばじわじわと少しずつある目標に詰め寄っているとぎで、

気分からいうと、内臓が板にはりつけられているみたいで、胃腸の動きはおさえられている。

本当は情緒の中心が実在し、それが身体全体の中心になっているのではないか。

その場所はこめかみの奥の方で、大脳皮質から離れた頭のまん中にある。ここからなら両方の神経系統が支配できると考えられる。

情緒の中心だけでなく、人そのものの中心がまさしくここにあるといってよいだろう。¨



つまり、人の奥深い情緒、感性は人間の中心であって、それは惟神の道である。といっているのです。

しかし、ここで注意すべきは平安神宮では、それを感覚といっているし、岡氏は唯脳論とも取れる発言をしているところです。

惟神は感覚とは異なる知覚です。それには道という制御の情報が含まれています。大脳の情報処理システムのみに由来する¨脳¨の影とも違う。

惟神の道が感覚だとすると、観念になる。観念には実在性はありませんから、しかし、惟神の前方にある。神は¨在る¨はずです。

自分の心の中にだけあればいい? 嫌、実感したいはずです。 その実在性を…

神と共にあるという確信、同行二人の境地なのです。





>日本文化の根本は天皇陛下のご存在

>三島由紀夫先生は政治的概念の天皇陛下ではなく、

>文化的・歴史的・連続性としての天皇陛下の

>ご存在を高く評価しているのである。




付け足すと、記紀神話のアマノミナカヌシ、アシカビヒコジノカミなどの¨柱¨関係の神の密儀に深く関係する。

その先には北欧のユックドラシルがあるけど。

神国日本というのは中華思想の一つでも、選民思想でもないよ。 この日本自身が生きている国土であって、密儀の場なの。

天皇の根底にはオージンに通じるものがある。 天皇は自身が柱であって、また貢物でもある。どういう意味かわかる?

だからこそこの世界にとってはなくてはならない、尊い存在なんだよ!



>仏教の世界宗教としての普遍性に脅威を感じてたような気もします。



仏教は宗教ではないと認識する。少なくとも仏教には信仰の対象はないし、霊性もない。

あれは魔道なんだよ。 人間と言う存在を徹底して破壊することが目的。

惟ながらの担い手となる人間を否定する教えなのだから、 神道家なら敵視して当然。

釈迦のいう 解脱はこの宇宙と縁を切ることでしょ。 私達の今いる世界と無縁になること、。

だから私達が見ると接触できないから無になる。 解脱とは全ての因縁をたちきること。すなわちこの宇宙からなくなること。

ということはアマテラスの子である自分を否定することでもあるし、世界から無縁になるということは、この日本からも無縁になることを意味する。

風が吹けば桶屋がもうかるの論法じゃないが、仏教の僧侶は日本にいるというのに、日本人でありながら、

この日本を否定するために日々修行しているのだよ。



>神ながらとは?


その場があって、天皇がちゃんと機能していないと真の惟ながらはない。

外国人も概念的には理解できるとおもうけが、 実践だからね、これは、 つまり、日本と言う国土があり、

それを体現する天皇が¨実在¨していろからこそ そこに生をうける我々は惟ながらを為すことが出来る。

惟ながらは概念ではない。 古神道は汎世界的な背景をもっています。

そしてそれにおける天皇(霊)とは?宇宙や宇宙太霊とのつながりは?

結局これは『惟ながらとは何か』なのです。 惟ながらは、惟ながらを観察するものではなく、行為でもあります。

そう直感した三島氏も独自の行動哲学を述べています。

多くの人は、ヒットラーの悪行だけをみて、それに捕らわれています。それは歴史の一場面であって、世界は刻一刻と変化しゲシュタルトする。

その中にあって、ある一場面だけを見つづけても意味はない。

そういうと、ある人は「何と薄情な、虐殺された人々の苦しみがわからないのか」と言うが、そういう貴方はわかるのか?

また私の苦しみは他の人にはわからないが、それは問題のすり替え。哲学は感傷ではない。

映画を見ていて、ある悲惨な場面があったとする。そこのシーンが気になったので何度もリプレーして見て、

そのうちにそのシーンだけが心にのこっり、映画の結末は覚えていないのと同じ事じゃないかな?



世界の活動はこれから…




ピア・スピリチュアル