ウィトゲンシュタイン・スピリチュアリズム



 スピリチュアリズムとは、霊の真理を認めて、それを、

 人が生甲斐を持って生きていく為の礎としていこうとする考え方、或いは道であると考えます。

 スピリチュアルと検索すると、シルバーバーチの霊訓の代表されるヨーロッパ系の心霊思想のサイトが多数出てきます。

 スピリチュアリズムとは横文字ですが、西洋の思想なのでしょうか?

 実は、スピリチュアリズムは日本にも古代からありました。¨神道¨です。

 私は日本独自のスピリチュアリズムを考えたいのです。


 霊というと、一般の人は、「霊は在るのか無いのか」「霊能は本当かウソか」を考えます。

 これは科学的に証明することを要求していて、それを進めると超科学や心霊科学という言葉が出できますが、

 それはスピリチュアリズムではありません。霊は科学的には証明されるものではありません。

 実体が無いので科学の対象では無いのです。ですから、科学がいくら研究しても、霊を検出することは無いのです。

 何故なら、霊が何であるのか?も分かっていないからです(霊は¨自己¨と同じものです)

 問題は、人として如何に生きるのか、人として正しくあるにはどうすると良いのか? なのです。

 つまり、スピリチュアリズムとは、人として人らしく在るための礎は¨霊¨であると主張するものでなければ行けないのです。

 ¨霊¨は人間にとっては重要なものですが、それは科学で証明される必要のない¨何か¨です。

 その何かは、愛や幸せに似ているものです。相手をどれだけ愛しているか、とか、

 人がどれだけ幸せなのか、と言うことは科学では計測出きるものではありません。

 科学で証明できなければ無意味、と信じている人がいますが、逆にそう思い込む方が無意味です。

 霊と同じもので、¨自分¨が在りますが、人間は自分と言う存在が何であるのか、科学的に証明できるでしょうか?

 自分を科学すると遺伝情報の集積でしか無いでしょう。遺伝情報の中に自分自身が居る分けではありません。

 この様に、科学では扱えないが、人間が生きていく上で大切な何かを¨語りえぬもの¨と言います。

 ウィトゲンシュタインという哲学者がこの用語を使いました。

 ¨語りえぬもの¨は、神や霊、神秘的なものに対して使える哲学の専門用語です。

 ウィトゲンシュタインはこの言葉を使って新しい哲学を示しました。そのおかげで、

 神秘体験や、信仰も無意味ではないと言うことが理解されました。

 つまりスピリチュアルは科学では実証できないけれど、人間の人生にとっては大切なものであり、

 それはウィトゲンシュタインの言う¨語りえぬもの¨に属しているというるのではないでしょうか。

 そして私は、語りえぬものは、昔から日本にもあったのでは?と思っています。

 ウィトゲンシユタインが生まれるずっと以前に、日本でも¨語りえぬもの¨が学問的に探求されています。

 本居宣長の¨もののあはれ¨と¨あはれを知るこころ¨です。

 宣長は和歌を分析することで¨あはれ¨を見出したのですが、¨あはれ¨は和歌の文法的なテクニックではなく、

 人間を取り巻く自然の情景や、日々の暮らしの中に表出される¨あはれ¨を観ているのです。

 ¨あはれ¨は人の精神世界の奥底にまで響くスピリチュアルではないのか?と考えられます。

 シルバーバーチに代表されるスピリチュアリズムは、古代ギリシャの哲学者であったキリストと同じレベルの霊からの

 崇高な霊界通信をテクストに、後世の研究史やたちが研鑽を重ねるという形で活動しています。

 日本の伝統的なスピリチュアリズムは、高級霊の霊界通信のメッセージを原典に研究するのではなくて、

 個人が、各々の人生経験の中で¨あはれ¨を知ることでスピリチュアルを実体験していく¨道¨であるように思います。

 日本は古代からスピリチュアルに溢れている国で、スピリチュアルを魂で感じ、それに人としての生きる道を求めています。


 以上、

 日本には¨あはれ¨という日本的スピリチュアリズムがあり、それをウィトゲンシュタインの哲学により、

 現代のスピリチュアリズムに結び付けてみました。






    ピア・スピリチュアル