多少難しく言えば、物質科学的には無いです。
ですから、科学者が霊や霊界は無いのだというのは正しいです。
でも私たちは物質の世界にだけ存在しているのではありません。
そこで、一般には精神の世界とか霊の世界とか言いますが、
あえて私は出来事の世界を主張します。簡単過ぎる説明をしますけど、
物質は固まって、維持するちからです。とどまりつづける世界です。
出来事の世界というのは、今まさに私たちが体験するこの世界です。
釈迦は流転といって非難しますが。
私たちが生きてこの世界にいる以上は
出来事の世界に住んでいるわけです。
一般に言う物質に対する霊という考え方は凝り固まる物質に対しての霊な
のです。
その見方だといつまでたっても二項対立のままで、
水掛け論に終わってしまいます。
出来事の世界から導かれる霊の世界のほうが自然だと考えています。
人で言うと、出来事とは、生きること、行為することです。
現界の学問は、そのときになぜ生きるのかとか、なぜ行為するのかを問題にします。
意味や価値を探そうとします。それはやはり現界の物質的考え方です。
意味や価値はそこで止まるから考えることができます。
そこで結論を出してしまうからある一つの意味や価値となります。
物質にたいする霊もそうです。たとえば恋愛運が悪いと色情因縁がある。
殺人を犯すと人殺しの因縁があったといいます。
でも出来事の世界だとしたらどうでしょう。人は永久に失恋し続けるわけではないし、
永久に殺人犯でもないわけです。
だとすると、その時や、その場で意味や価値を無理に見出すよりも
生き続けることや行為し続けることが出来事の世界に住む私たちにとっ
ては自然なわけです。
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