・前期類魂論の間違いと行為する確実性

もし前期の類魂論によって、霊的向上を考えるなら、人類全員が身障者になり、不自由な人生を強いられれば良い事になる。

しかしそれでは未発達の霊達を救えないので、物を使う。物が動くと物霊が動き、其処には未発達の者達が居る訳で在る。

未発達の者達を救う為に物霊を操作し、その結果物質的には豊かになるが、霊的には落ちてしまうと言うシステムで在る。

そうシステムである。システムとして捉えていたのが間違えだったのである。救済はシステムではない。アフォーダンスなのである。

どうも現世的思考習慣が抜けない、ストレートに心霊を観ることが出来ない。此処で結論を出そう、余り長々と論じていては行けない。


私たちは行為する確実性であった。私たち自身の人生の中では行為する事が次の行為を促す。

そして私たちが今生き続ける事が次の世代の生を保証する。その私たちの生きる営みに絶対的な確実性を与えるものが類魂のアフォーダンスなのだ。

更に環境、環境のアフォードは私たちに物霊を提供する。類魂の世界は何故物霊が必要なのだろうか。

物霊をより多く利用できる「器」を持つ、つまり進化し、高度の情報処理能力を持つ身体を与えられるという事は、

それだけ環境に対して開かれた自己で在ることを意味する。物霊と進化には密接な繋がりがある。この様な事態の中で「救い」とは何で在るのか。

一言で言うなら、器として今此処に在る、それ自体が救いなのである。今この世界に在るという、只それだけで救いの道が開かれている。

アフォードする開かれた世界では、鉱物の様な霊とは言えない物も其処に存在するだけで救済の資格が在る。

この世界では如何なる説明も論理も必要無い。只、生き続けよ、在り続けよとアフォードするのみである。






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