私は悪霊ではないと思う

問題は私の様な者をどう救うのかである。私は悪霊では無いと思う。悪霊なら神が処置するのであるから。

私の様に自ら道に迷いながら気付かぬ者が君達の周りには沢山いると思う。心霊科学を志す者はそんな善良な者達の力にならなければ行けない。




*哲学の域を越えたから後は心霊科学者が遣りなさいですって。そんなぁ、ここでリタイアするなんてずるい。

それなら自分が心霊科学に転向すればいいのに。
L君とこれを書くように成って分かった事は、指導霊になるのは結構大変なものだという事です。

L君はずっと偉そうな事を言っていますが、実はそう大してレベルは高く無いらしい。私の知っている限りで二度倒れています。

背後霊がそうなるのを見るのは始めてだったので
驚きました。どうなるかと言うと、身体が固まって彫刻の様になって全く応答しなくなるのです。

要するに落ち込んでいるらしいのですが、一端落ちると、どん底迄行く見たいです。

人間だと酒でも飲んで寝てしまえば良いんでしょうけど、霊だとそんな訳に行かないのでかなりきつい見たい。

L君はこれを書く役目があるからか、すぐ他の霊が助けてくれますが、恐らく普通の霊がそうなると正気が戻るのに何十年も掛かるのかも知れない。

それが因縁霊とか言うものかしら。L君は
1951年に他界しているのですが、これで標準的な霊なのかも知れない。

そんな感じで学問する以外は只のおじさん霊なので私は少し顔を大きく出来るのです。
L君が遣ろうとした事、それは心霊科学の一般化なんです。

哲学的に言うと、心霊科学の確実性。例で説明すると、電卓が有りますが、あの中身がどうなっているかは分からないけど

正しく操作すると正しい答えが出てくる。私たちはその答えが正しいかどうか疑ったりはしませんよね、

こちらの操作が正しければ答えは必ず正しい。これは電卓の確実性。

そんな絶対間違え無しの電卓を私たちが使う前に、それの研究者が全ての確実性を確かめて間違えの無い電卓を作ったのです。

だから電卓は研究者が研究し尽くして間違えの無い物であるから、私たちはそれを使う度に、この電卓本当に間違え無いのかしらなんて疑ったりはしない。

もし答えが違っていても、それは電卓では無く、使うこちら側が押し間違えている訳です。そういう事を学問の確実性と言うらしい。

その学問の確実性が確立されて始めて、社会に貢献できる様になるのです。それじゃ心霊科学もそれをやろう。



救済、浄化、向上等は信仰や教えならそんな面倒な事はしなくても良いのです。只信じれば良いから。

でも学問や科学なら別で、避けて通れない儀式みたいなものです。それでL君が主張したのが、言語ゲームに基付く心霊科学的懐疑。

それを行うと霊能者じゃなくても、自動的にサニワが出来てしまう。言い換えるとサニワの確実性の事で、L君は其処までは出来た。

でも、サニワの意義を考えた時、或いはサニワを究めて行くとどうなるのだろうか。それは救済なのではないのか、としたら

今度は救済の確実性を探究しなければ行けない。
ここで問題にしているサニワは、霊の言葉を正しく伝える為だけではなくて、

その仕組みを私たちの日常の生活に応用しようという意味でのサニワです。


L君の分析哲学は対象が概念だから出来るのです。概念だから分解できる。しかし、救済や浄化は概念では無いのです。後で説明しますけど、

それは類魂のアフォーダンスの知覚と言うもので、私たちは類魂からの所与として、概念として捕らえずに、そのまま行為して現すのです。

だから行為そのものは概念では無いので哲学にはならないと言うのです。ですからそれは厳密に言うと確実性も問われない訳です。

そのまま行為すればいいのですから。それを行為する確実性とL君は言っていました。それはこう言うことだと思います。



自分が意識不明の寝た切りに成ったとします。そうなって仕舞うと何が出来るでしょう。勿論身体を使って何かは出来ない。

臓器提供はその後、死んでからですし、考える事が出来ないから科学や哲学も出来ない。それに宗教も、意識が無いから信仰活動が出来ないでしょう。

他界を認める宗派ならもう委ねなさいという事になる。つまり学問も宗教も自覚する「私」がその舞台となっている。

それは概念なのだという事になる。
意識不明の寝た切りの人間、心霊科学ならこう断言出来るのです。

「いや、それでも貴方は生きている限り救済しているのだ」と、それは類魂を考えるからそう言えるし、

器の「私」だからそれが出来る。サニワを探究すると其処まで行ってしまう。心霊科学は絶対肯定であると同時に非常に厳しい世界なのです。

この所見は私の知ってる限りの他の学問や宗教の追随を許さないと思います。L君に指摘されるまでは私も其処までは分からなかった。

心霊科学は物凄い可能性を秘めた学問なのです。そういう訳でこれは日本だからここまで出来たと思うのです。

サニワも物霊も日本にしか無かったから。そこにL君達が言語ゲームとカタストロフィー理論を持って来て、何だか上手く噛み合って来たのです。

ここで安心しては行けない。心霊科学の救済の確実性を確かめないと駄目。





ピア・スピリチュアル