心霊科学的懐疑は可能か

懐疑、

なぜ懐疑するのかと言うと、命題の真偽を検証するため、そして命題の検証とは、その使用である。正しく使用できるとその命題は真となる。
つまり命題の正しい使用を見出す作業が懐疑と言える。であるから自然科学の懐疑とは理論の使用を妨げている疑似命題
(自己、心、霊などに関するもの)を排除することである。

では心霊科学的懐疑とは、それは言語ゲームを行うことである。言語ゲームを精錬して行くと概念を消去することになるからである。
言語ゲームの論理学的展開とはこの意味に於いてである。

私は論理学と心霊を混同しているのではく、論理学的に心霊を探究しょうとしているのである。学問上の諸問題と言うのは、
新しい発見によって導かれるのでは無く、私たちが日頃慣れ親しんできた知識を組み立て直す事により解くことが出来る。

私の仕事は、概念に凝り固まった私たちの思考を一度バラバラにして、今度は神へ向かう思考へ創り直す事である。

(哲学者は何に付けてもある論理空間を想定したがる。然る後でなければ神を認められない仕方の無い性分なのである。
勿論神は論理可能性で在るはずは無い。そう思うのは神を世界の超越者と考え物理的に不可分であると無為に思い込んでしまっている事が根底にある)


ピア・スピリチュアル