霊界の知覚と類魂

知覚に付いて、心霊世界と今までの科学では知覚の考え方が全く違うのです。
西洋哲学の出発点は宇宙と人の関係、それは神と人にもなりますが、
人が宇宙を知るには知覚がなければならない、
だから知覚とは何かが学問の事始めになるのです。
そこで、心霊世界では知覚をどう考えると良いのか、です。
今までの科学は、知覚は概念であるとしていました。
概念というのは一対一の関係で、〜は〜である。
と断言できる物事のことです。
これは哲学的には釈迦の因縁論と同じものなのです。
世界の物事を全て原因と結果の枠にはめようというものです。
それがこの現界、概念の世界なのです。
それはそれでよいのですが類魂の世界は違っているのです。 
類魂の中では一対一の対応関係は無いのです。
そのことを霊系が連なると言います。
つまりある一つの霊ではなく類魂全体が関わってくるのです。
では非概念的知覚とは何なのか、です。
霊は物霊ではないのかと言います。
行為するのであるから、当然その原因として知覚が在ると考えます。
類魂の表出としての人の行為を考えると、
物霊が知覚に相当するのではないのかということです。
物霊は類魂の中で知覚として振る舞うのではないか。
だからこそ物霊が重視されるのです。
物霊が知覚の一種であれば、心霊科学の出発点になるからです。


もう少し非概念的を説明します。
今までの概念の知覚論は、刺激→中枢→行為、
となって中枢に主体性がある。つまり、人は頭で考えて行動する。
これは当たり前ですが、それはそう教えられたからですね。
非概念的であるとは、人の行為の主体は中枢に在るのでは無く、
刺激を与える環境にも在るのだと考えます。
この知覚はアフォードと呼ばれていて既にロボットの制御に応用されています。
急に物が飛んできて、咄嗟に避けるとか、走っている電車の中でも倒れない、
この様に頭で考えないで、無意識に正しい行為が出来ることです。
霊視や霊感はこれと同じ種類の知覚ではないのかと言うのです。 
そしてその担い手か物霊である。
人は類魂という環境の中で物霊を知覚しそのような行為をしてしまう。
そう考えると物霊は概念的ではないから業では無いのです。
人の行為の原因としての物霊ではなく、類魂全体の関与するある状況を
示す意味の知覚が物霊なのだ、だから指導霊は類魂論の中から
因縁思想は排除すべきだと言います。それは今後の課題ですが。
そんな訳で、物霊は非概念的であるのかどうかが問題となります。


事象の構造、
科学では論理形式とか論理構造と言います。
これが同じだとそれらの理論は互いに仲間同志ということになります。
心霊世界での事象とは類魂だと思います。
重要なことは類魂の一つ一つは細胞に例えられて、類魂の全体は生き物であり、
有機体なのでは無いか、です。
類魂が有機体であるなら、概念の物では在りません。生き者は概念の塊ではないからです。


ピア・スピリチュアル