「心霊研究」
1998年4,5月号掲載


 

 

          類魂論の考察 自己の役割と類魂


 

 

     *自己の役割と類魂*


 自己の現れというものは、金が欲しいとか、人より頭が良く成りたいとか、もっと良い運が欲しいといった欲望を実現化することが目的ではありません。

真の自己といえる心霊現象としての自己は、自己の本霊である御親ノ神の御心をこの現界に現すことであると考えられます。それが自己の現界に於ける重要な役割なのです。

地球大霊の最大の目的は、この世界の全ての霊的存在を浄化するということで、人はその役割の一部を担っているのです。

それはどの様なことかというと、前生や先祖の徳や業によって現れている今の自分の才能や知恵、財力、地位等といったものを世の中の為に役立てることです。

つまり欲の結果として現れている自己の実体化したものを今度は、他者の為に現そうとすることなのです。

ここでは、自分であると思っている現れを自我ということにして、それに対し自我に関わる類魂全体を自己と言うことにします。

従って広義では他人は存在しないのです、他者であると認識した時はすでに自己に組み入れられています。

 

 『類魂』によれば、自己というものは多数の類魂が集まって出来ていてその類魂は、縦の類魂と横の類魂に分類されて縦の類魂は自分の霊魂の系統で、

自分→前生としての守護霊→その前の守護霊──魂の親神へと連なります。横の類魂は家族、友人、社会、世界、といった自分を中心に身体を介して関わる類魂のことです。

 では、縦と横の類魂は自己の中でどの様に働き合っているのでしょうか。霊界にある霊があって、この霊格が上がろうとする時に、

その重い部分、浄化してい無い部分が分かれて人として生まれ、浄化している部分はより神に近づき、現界に生まれた人間に対して守護霊となります。

神は霊的存在を浄化しようとするときに、神に帰る部分と、浄化出来て無い部分に分けて、浄化してい無い部分を現象として現して消して行くのです。

物質現象としての人間は守護霊にとっては消えるべき物なのです。自己というものは、人として生まれる前にこの様な、縦の類魂からの未浄化の部分を受け継いでいるのです。

そして、横の類魂が自己の中に入って来ると、その横の類魂の持つ業に応じて縦の類魂の業が働き、家族やグル−プ、社会での人間関係あるいは病気等を現象として現し、

業を消して行こうとします。縦の類魂が神によって嫁せられた業を消して行く為に自己の中に他者と関わる事によって、横の類魂の持つ業を入れて自我として現しているのです。


 私は浄化という意味について、それは神(守護霊)へ統一されること、帰って行くことであると考えています。

浄化と言う言葉は、綺麗に対して汚い、悪いというイメ−ジがあるのであまり使いたく有りません。統一という方が、馴染みがあります。

この未浄化で汚いものを業と呼ぶらしいですが、それは確かに、神へ統一しょうとするときに障害になるのですが、

『類魂』の概念を広げて行くと、それは悪いもの、重いもの、という意味は無く、類魂と言う生命体の営みの中での新陳代謝の産物として生じたものであって、

自然の姿であると思われるのです。

 神の目的は諸霊を自らに統一し、浄化することでありますが、それは自己を拡大することに他なりません。

自己は生まれる時、前生からの業と、現界に成って直ぐに深く関わることになる、横の類魂である両親からの業を背負うことになるのですが、

もっと自己を大きくするということは、他の人々との交流によってその他者であった人の類魂をも我、自己として浄化することです。

それはどの様なことかというと、愛であっても、憎しみであっても自己の関心が他者へ向けられることです。

横の類魂が小さい場合というのは心の中に自分しか居ない状態であり、横の類魂が大きくなっていくと自分の関心が自分のことだけで無く、

家族、友人、社会、と言う様に拡大してゆきます。自分の心の中に他者を置くこと、それが横の類魂を増やすことです。

そして自己に入って来た人々に対してどの様な行動を採るかということが重要であり、その行動こそが、浄化の為のものでなければなないのです。

自己は前生の現れであるから、自己に組み入れられた他者に対して、守護霊=自己が同行二人となって働きかけるのです。

 




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