天皇とは何か?―スピリチュアリズムの観点から



 つまり、天皇の霊性を問うということですね。そしてそれがどのような意味を持つのか、です。
 
 外国には天皇は居ません。日本にしか居ない天皇と言う霊性が、

 世界にとって必要であるか否かと言うことも問題になってきます。

 昔から万世一系は尊いと言われていますが、確かに、二千年以上続いている王朝のある国はありませんが、

 韓国や中国では、一般の家で千年以上続く家系はよく在ります。

 万世一系の信仰は、血の繋がりにこだわっています。万世一系を信じている学者さんや右系の政治家は、

 霊の存在を知らないのでしょうから、天皇の血の繋がりを重視するのは当然かもしれません。

 しかし、スピリチュアルの観点から言えば、血の繋がりよりも霊性のはずです。

 天皇がどんな霊性を持つにせよ、その霊性が無い天皇は、血の繋がりがあっても無意味なわけです。

 なぜ昔から万世一系にこだわるのでしょうか?それは色々と理屈はありますが、一番大きな理由は政治でしょう。

 何人かのライバルが居て、自分が天皇になる場合、その正当性を証明するため、万世一系の近さを主張します。

 また、将軍が天下を取る時、自分に都合の良い皇子を天皇にするため、万世一系を利用します。

 日本の皇統の歴史はこんな事情があります。

 私は、このような意味での万世一系の皇統には霊的意味を感じません。¨あはれ¨も¨まこと¨も無いからです。

 明治天皇のときもそうです。徳川慶喜は先帝である孝明天皇派でしたが、

 反徳川派(岩倉具視)が孝明天皇を倒し、明治天皇を担ぎ出しました。

 明治天皇と言う神格は、長州系の元勲と言われた人たちが作り上げたキャラクターです。

 元勲達は神になった天皇の背後で自分の権益を大きくしていったのです。

 現人神や、万世一系は、その時その時の政治が作り出す¨偶像¨という側面は史実ですが、

 それでも直、天皇という言葉にはスピリチュアルなものを感じます。天皇とは何なのでしょうか?


 今一度、万世一系を考えてみます。

 物質論的尊皇論者は、血統の正当性を重視しますが、それと同時に¨日本文化の伝統¨も主張します。

 つまり天皇が「神武天皇以来、2600年間の文化と伝統を受け継いできた天皇家は大変尊い」という考えです。

 でも、先にも述べましたが古代から続く家系は天皇家だけではありません。社家に多いですよね。

 (以前成田に住んでいましたが、近くの神社の宮司さんの家系は、神八耳命を先祖に持って、天皇家と同じくらい古い家系です)

 私は、天皇に付いては、ただ家系が長く続くから尊いのではなく、スピリチュアルな理由が何かあるから尊いものを感じます。

 大嘗祭は、宗教儀式です。天皇霊のミアレする神秘劇のようなものと考えています。

 (神秘劇はある決まりを守って真心をもって行うと、神が降臨する場になります)

 ここでは、スピリチュアルの立場から天皇を考えています。言い換えると、

 天皇と言う存在が、如何にして、人間一人一人のスピリチュアルに影響しているのか?ということです。

 天皇が、私たちの生き方に、どのような霊的意義をもつのか全く実感が持てません。

 国家神道と、その後の戦後のアメリカの対日本政策によって、

 天皇のスピリチュアルな側面が政治的に隔離されてしまったからです。


 天皇は、支配する者でも、統治する者でも、絶対者でもなく、

 人間一人一人のスピリチュアルの中にある一つの仕組みを表象しているのです。

 それは¨天と地のむすび¨です。そして、むすびがあると、新たな創造が展開します。

 新しい天皇が即位して、大嘗祭を行うと、新しい日本が創造される、という意味があります。

 天皇は常に宮中で祭祀を行い、神と日本のむすびの場となっているのです。


 しかし、それは、一般人のスピリチュアルにも起こっていることなのです。

 私たちのスピリチュアルも、いつも小さな大嘗祭が行われているのです。

 ¨あはれ¨を知るこころを自覚するとき、私たちのスピリチュアルの中で、自然と、自霊が¨むすび¨、

 小さな天皇となるのです。それは、¨天と地をつなぐ者¨なのです。











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