財団法人日本心霊科学協会 第5回心霊科学研究発表会

平成18年7月30日 に発表させていただいたものです


類魂論 バラバラになる自我と物霊     高橋 久美子              ピア・スピリチュアル





類魂論についてお話いたします。類魂論を初めに発表されたのは、小山順司先生です。

小山先生は1960年に弟さんの霊信を「心霊研究」に発表されています。小山類魂論の始まりです。

その後、1977年ごろから類魂論シリーズを多数執筆されています。私は、小山先生が類魂論を発表されていたころ協会に入会しました。

他の先生方のコラムも大変勉強になりましたが、小山先生の類魂論が特に印象深いでした。私は高校生の時に霊能が現れたのですが、

その当時の背後霊に光明さんというお坊さんが居ました。ずっと後になって、小山先生とお会いして、色々とお伺いしているうちに分かったのですが、

その光明さんは、小山先生の指導霊団の一人で、光明海上人らしいのです。私は、小山先生とは別に類魂論を考えていくことになりました。




類魂論の出発点は、「バラバラになる自我」です。他界すると、霊魂はバラバラになり、

大まかに分けて、体霊の部分と、霊の部分になります。ですから、生まれ変わりも、

今現在生きている自分とまったく同じ霊的内容の自分が生まれ変わるわけではないようです。でも、頭では分かっても、理解できないですよね。

自分の霊魂がバラバラになるとは、どんなことなのでしょう?心霊というものは実感できなければ意味が無いと思うのです。

理屈が正しいだけではダメで、心の奥で納得できるものである必要があるのです。

私は、どの分野についても丸っきりの素人なので口をはさむ事は出来ないのでしょうが、

あえて述べますと、科学と言うものは、結局のところは人間の生活を豊かにする為の道具だと思うのです。

宇宙の真理を探るとか、神に代わって生命を操作すると大きなことを言っていますが、結果として人間の願望を満たす道具になっています。

類魂論から考えると、それは物霊を増やしていることになります。

ですから、科学が進歩して、人間の生活が楽になれば、社会の業が増えて、ますます人間界が住みにくくなります。

それに対して、心霊科学は、願望を満たすのではなく、魂を満たす何らかの情報に関する技術ではないかと思います。

情報と言うのは単なる知識ではなくて、人間の行動や運命を含む情報です。心霊は実感できなければいけないというのは、このところにあります。

心霊科学は、人間の在り方に関わるものなのです。人間の在り方とは、自分のこと、自分の霊のことです。

つまり、心霊科学は、自分自身の霊魂が対象の一つというか、心霊科学の背景として自我があるわけです。

ある本に、反証できることが科学の条件であると書かれていましたが、心霊の科学であるからといって、

自我を反証され否定されては、何も出来なくなります。自分の存在が反証されてしまうと、私は生きて行けなくなります。

そういう意味からも心霊科学は既存の科学とは違う立場にあると考えられます。人間が自分自身を積極的に肯定し、自我を認める立場です。

それで、その自我はどうなるのかというとバラバラになって、類魂の中に入ります。

そのようなわけで、類魂論は心霊科学を進める上で重要な位置にあると思っています。


小山先生は、ボランティアをされていたのですが、奉仕をすることで、類魂の研究を深めていきました。

苦しんで、追い込まれていく状態でも頑張って奉仕すると、霊界が類魂を教えてくれたのです。どういう訳か、

私も福祉に関わっています。重度の障害者と毎日接しています。

類魂論は、自我はバラバラになるといいます。そうなると疑問が出てきました。

一つは、自我はバラバラになるのに、そのバラバラと言うのは、想念の一つ一つのことですが、人間が何かするときに、

それを行おうとする意思を決めるのは何か?ということです。人間は、自由意志のように感じています。しかしそうとも言えないらしいです。


私は障害者のリハビリをしていますが、彼らの障害の状態は様々で、まったく意識不明の方もいます。

でも、医学的には予後は不良で治らないのですが、関節が硬くならないように運動します。意識の無い方には声を掛けながら手足を動かします。

施設の利用者でTさんという方がいます。この人は、意識が無く、眠り続けたままです。

でも時々目を開けて、こちらを見ようとする表情をすることがあります。

介護しているご両親は、意識が少し戻っていると信じています。先日、こんな光景を霊視しました。Tさんの周りに渦が出来ています。

おそらく幽体です。その渦の中心にTさんがいます。何かがスッとTさんに入ります。

そうするとTさんの目が開きます。その時のTさんは起きようとする意志が強く、起きて家族に会いたいと思っています。

でも、また目は閉じられて眠ってしまいます。また、スッと何かが入り、Tさんの目が開きます。

こんなことが何度も繰り返されます。私がTさんの運動をしながら、

その光景に見入っていると、指導霊が言いました。「出入りするのはTくんの類魂なんだよ。みんなTくんなんだ」

Tさんの類魂の中で、目覚めを必要としている霊がTさんの身体を借りて、覚醒しているのです。その霊は目が覚めると、

すぐに離れて、また別の人間に入り次の段階の修行をします。そう、これがバラバラになる自我なのかも知れない。

Tさんから見ると、目覚めているのはいつも自分です。

しかし、私は霊の立場でTくんを霊視して、いくつもの霊がTさんの身体を出入りするのをみました。

つまり、霊界から見るとバラバラになる自我を知ることが出来るわけです。

バラバラになる自我を自覚するということは、現界的な感覚の檻から抜け出すことなのです。

私は学問の専門家ではないので、なにもいう権限はないですが、霊能者としての体験から話していますが、

自我というのは「私」のことですね、それは過去からの「私」の記憶の連鎖が「私」を作っているように思います。

人間は、過去も現在も「私」が考えて行為している、自分に主体があると信じています。

でも、このバラバラになる自我という状況下では自分に主体性は無くなります。

そこで、次の観点ですが、前世の記憶です。前世の記憶は一般には無いですよね。

それはなぜでしょう。たいした問題ではないのかもしれませんが、類魂論的には興味深いテーマです。




前世の記憶が無いというのも、バラバラになる自我に起因していると考えられます。

霊が言うには「記憶とは、出来事を整理し、意味として構造化することであり。それは物霊をブロックのように組上げること」

何かを意味として心の中に記憶としてとどめておくことは、物霊の働きだそうです。

また、その物霊は霊体のブロックですから、

一つ一つ取り出すことが出来ます。それが類魂の中の記憶なのです。

類魂に沢山の前世の記憶が物霊と言う形で沈殿しているわけです。

類魂の中の物霊はすべて、自分の物霊、つまり自分の前世の記憶として思い出すことが可能です。ここで注意しなければならないのは、

類魂論の前世は、今の自分とは霊的内容が異なっています。類魂内の物霊を拾って、前世の記憶として思い出しているわけですから。

つまり、前世の情報を持つ物霊を自我に取り込めば、前世を体験できるのです。それは先のTさんの場合のように、霊体に類魂が入り込むのです、

その時に前世の物霊も一緒に入ります。霊が言うには、一端このような霊体の道ができると次々と同じような霊が入れ替わり立ち代りやってきます。

ですから、前世がわかる人は、何代もさかのぼって自分の前世を語ることができます。




それで、この、類魂が自我に入れ替わり立ち代り出入りするという事態にはどのような意味があるのでしょうか。

それは、霊的な体験と言うものは、霊界から与えられるものであるということです。人間の営みにはどんなものにも意味があります。

人間は宇宙の浄化の場です。物質的なものと霊的なものの交わる場です。人間の身体を通してもろもろの情報が経絡を通り気になり、

精神に上がり、物霊になります。物霊が作られると其処に類魂が降りてきて、霊体に出入りする霊ですが、それが、物霊を持ってまた類魂に帰ります。

逆に物霊を人間にくっつけるときもあります。分かりやすく言うと、人間の身体を通して、類魂が物霊の交換をし、互いの向上を図っているのです。




人体には重心がありますが、人間が行動するとその重心に地球の重力が集まります。実は重力は地球の物霊です。

人間の腹中に地球の物霊である重力があつまり、そこに東洋医学のいう三焦という臓腑があります。ここには先天の元気がありますが、

先祖からくるエネルギーです。この三焦で地球物霊と気がミックスされます。気は体内の経絡を通り、感情を作ります。

気と物霊について少し話します。




人間は物質体、エーテル体、アストラル体、グラールで出来ています。

これらをひっくるめて霊体といいますが、これは物霊が変化したものです。

物質体は、肉体のことです。肉体は外界からエネルギーを補給しますね。

それは、食物(栄気)、空気(外気)、重力(丹田)です。

人体には重心がありますが、人間が行動するとその重心に地球の重力が集まります。実は重力は地球の物霊です。

人間の腹中に地球の物霊である重力があつまり、そこに東洋医学のいう三焦という臓腑があります。ここには先天の元気がありますが、

先祖からくるエネルギーです。

この三焦で地球物霊と気がミックスされます。そして、体内を循環してエーテル体に作りかえられます。

つまり肉体はこの物質世界の無機物を精気あるものりに替える役割を持ちます。この霊的な意義は地球が持つ業の浄化です。

地球の業が人の食物となる生物や空気、重力をつくります。人はそれらを体内に取り込むことで、エーテル体という霊的なものに変換するのです。

低次元の物質が多少精妙になり、物霊として人のエーテル体になる、それは浄化といえるでしょう。

またそれはこの世界における人間の、大きな存在理由なのです。神様のお手伝いをして、物質を霊的なものに変えることが人間の仕事です。

人間の肉体はこの物質世界の無機物を、物霊という精気あるものりに替える役割を持ちます。

この霊的な意義は地球が持つ業の浄化です。地球の業が人の食物となる生物や空気、重力をつくります。

人はそれらを体内に取り込むことで、エーテル体という霊的なものに変換するのです。エーテル体は、物質体の奥行きです。

物質体の直接の成因です。その意味で業といえます。

奥行きと言う言葉ですが、次元が進むという意味です。何かを霊視すると、その対象に重なってそれに関連する別のものが見えてきます。

それを、物質の奥行きと言っています。




先にも述べましたが、人間は直立して歩きます。そのせいで、重心が腹部にできます。

それを丹田と言っています。それは地球の重力という業が集められたところでもあります。

人間はその重心によって行動し営んでいます。重力は物質よりももっと低次元の物質です。

人間はそれを体内に集めて原気という気をつくってエーテル体の鋳型にします。

エーテル体は地球の重力を生成して創られるのです。そこで、地球物霊は、テーテル体へと変化するわけです。

また原気は、人間の過去世のカルマの受け皿でもあります。原気を変形させることで、カルマの現れ方(病気など)を変えることが出来ます。

(ヨガや気功はこの方式です)

その後、気は体内の経絡を通り、感情を作ります。心、小腸、心包、三焦系は、喜び、愛 、悲しみ 。

肺、大腸系は、深い悲しみ、罪悪感、後悔などです。これらの感情はアストラル体の一部となるものです。

地球物霊は、人体の中に重心として取り込まれ、エーテル体となり、体内をめぐる間に感情の元となり、人間の精神の構成要素へと精錬されていきます。

物質体とエーテル体は表裏一体の仕組みにありますが、アストラル体はまた別の霊的システムに組み入れられています。

つまりアストラル体は程なくして、グラールへと至らなければなりません。エーテル体は気によって物質の宇宙と連続しますが、

アストラル体はグラールとなり、神性を享受します。ここに霊我の場が出来るからです。人間は、体内で気をめぐらすことにより、

エーテル体をアストラル体に、さらにグラールへと変化させます。それは高次元の衣なのです。つまり、私達の心の一部である感情は物霊の一種で、

もともとは地球の業であったものが、体内で、代謝されて、人間の霊の中に入るわけです。人間は、それと自覚していませんが、

自分の体内で地球の業を浄化しています。人間は、どんな状態にしても、生きているだけで、地球の浄化に役立っているのです。

そして、この霊体を創る物霊の一つ一つが個性を持ち、一個の霊でもあるのです。業が個性を持つということはあまり理解できませんが、

個性をもつ業が物霊といえます。つまりバラバラになる自我です。

バラバラになる自我は、人間の霊は類魂であって、その背景には、宇宙における物霊浄化の仕組みがあるという真理を意味していると考えられます









   バラバラバラバラ バ〜ラバラぁ〜



















   
ピア・スピリチュアル 守護霊視と前世霊査
   
   
心霊写真
   
   
ご利益のツポ