釈迦の悟り解説

先ず、インド的世界の業、因縁思想と小山類魂論の業や、因縁が、何処がどう違っているのかです。つまり同じ言葉を使っていて、意味も類似していますが、それぞれの背景となっている世界が全く違っていると言う結論に持っていきたい。事実そうなのですが。

一つの解決策として、認知論的に考えて見る。認知っていうのは人の思考活動や生物の行動を、知的機能を持つシステムとして考えていこうと言うのです。そしてこのシステムを、認知主体といいます。ですから認知主体とは人や、動物、コンピューターを指すのです。お釈迦様はこの認識主体は自我であるとしたのです。

そこでお釈迦様の悟りの過程を洞察します。心霊研究にも書いているのですが、L君のだと説明不足で私も分からなかったのです。お釈迦さまは「我は有る。では我とは如何に」から探究を始めたそうです。

過程1.人は互いに他者の我を知ることは出来ない。
だから逆に言うと我は、他の我と区別されることに因って我となる。であるなら他の我と我はどう区別するのか。それが因縁という訳。因果の結び方で個々の我が区別されるのではないのかと思ったのです。


過程2.単純に考えて目覚めている時が「我」である。
眠っている時は、我は自覚しないのであるから。それの意味する所は、目覚めている我の中で正に「世界が起きている」ということである。確かにその通りなのです。人は今自分が眼ざめているこの瞬間に体験する世界しか、知り得無いのですから。

過程3.インド独特の世界観によると、世界の全てのものは輪廻転生するのです。過程1と2によって、因縁が個々の我を区別し、そしてその我の中に世界が有る事になる。だから輪廻転生もその我が舞台となる筈である。更に、インドでは生まれ変わりは日本の罪汚れみたいに悪とされていたので、この世に生まれるのは本質的には悪なのだと信じられたのです。ですから必然的に悪の舞台になっている我を消してしまって、二度と生まれて来なければ良い事になる。

 このような思考過程でもって、諸法無我、一切皆無の結論にいたるのです。仏教の本では我を消す過程よりも因縁と転生の分析が主題になっているので、私みたいな素人が読むと空になって悟ると因縁も消えてしまう印象を受けますが、類魂の立場で考えると、お釈迦様の悟りの、過程の間違えが良く分かります。

第一は始めの出発点である認知主体を自我にしたことです。類魂の場合は、認知主体は何なのでしょう。自我だけでは無いでしょうがシステムを考えると類魂の長の守護霊だけに全権がある訳ではないようにも思います。

第二にインド哲学の欠点、業を持つのは悪だと決めつけるところです。お釈迦様はそれをそのまま踏襲したのです。小山類魂論では業を持つのは悪ではなく、むしろ肯定しています。もっと向上するために業を持たされるのです。この違いは何故なのでしょうか。始めに述べましたが、インドの世界観と、先生の背後の立場は本質的に違っているのです。

インドでは世界の全ての存在はある業を持っているから、生まれ変わってその生が在ると信じられている。お釈迦様はそれには同意している。でも神に対する認識が違っていて、インド哲学では人は業生から解き放たれると超越者である神に帰るのだ、つまりブラフマンに帰一するというのに対して、お釈迦様はそれを否定して、神も我の一形態だから無にならないと行けないとしたのです。お釈迦様の言っている無は宇宙の主宰者である神すらも否定するものなのです。仏の慈悲とかいうのは大乗仏教の仏のことで、お釈迦様の無には慈悲も情けもないのです。生物の完全否定なのです。ですから釈迦の後を追って悟ったつもりになっても、人の救済なんて出来ないのです。後世の人々はその所を良く理解せずに、自分を神格化してしまってすがってくるから大変困ったと言っています。

インドでは業を持つのは悪ですが、類魂の世界では救済の為だと思います。ですから生き物がこの現世に生まれてくる事に対する認識が正反対なのです。先生の背後の方は仏教系の他に陰陽思想も混じっているみたいですが、やっぱりここは日本なのです。使用する想念は仏教的でも本質は日本なのだと思います。同じように私の所は科学と哲学の想念を使ったのです。

面白いことに、お釈迦様とL君は、学問上は反対の立場なのです。過程1と2は今の哲学では独我論と呼ばれています。独我はこの世界には自分だけしか存在していない。なぜなら他人の心を直接知ることは出来ないから、というものですが、これはそのまま事実なので、何処かおかしいけど論理的に否定できなかったのです。L君は言語ゲームの立場で否定したのです。お送りしたウィトゲンシュタインの本にも独我論が少し書いてあります。でも現界のプロの研究家はこの二人は反対ではなく同じ境地だったのではないか、と本に書いてありました。これは興味深いです。

小山類魂論には仏教の言葉が使われているけど、本質は仏教じゃないよって言いたい訳です。それじゃその本質は何かというと、有機体なのです。生物は生きるために行動します。当たり前ですが。インドではその当たり前のことが悪だったので無になろうとしたのです。生き物はストレスが加えられても直ぐに普通の状態に戻して生きていこうとします。それは恐らく類魂の救済のシステムが生き物の身体に反映しているからだと思います。類魂は少しずつ物霊を取り込んで成長しますが、生物が、環境から種々の情報を受容して生きて行くのとイメージが重なります。この考え方をホロンとかプロセス哲学って言うのですがまだお勉強はしていません。




















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